当時スウェーデンの政権は農民、市民と貴族らによる身分制議会が握っており、王権は極めて弱いものでしたが、グスタフIII世は国王に即位後すぐに近衛兵を用いてクーデターを起こし、無血で成功を収めます。ストックホルム市民から「王国の再建者」と歓喜をもって迎えられ、その後自ら国政に関与、身分制議会を尊重しながらも専制的な君主として振る舞い内政改革を行ったことで、永きに渡りスウェーデンを弱体化せしめた「自由の時代」は幕を下ろすこととなります。
スウェーデン・アカデミーはグスタフIII世により、1786年に設立されたスウェーデンの学士院で、一般的にはノーベル文学賞の選考機関として世界中に広く知られています。設立当初から会員数は18名で固定され、また終身会員であるため、原則生存中はアカデミーから脱退することができず、それは現在でも受け継がれています。
グスタフIII世は軍事力増強のために、1788年6月にロシアに戦争を仕掛け、自らフィンランドで陣頭指揮を執っています。
陸戦では苦戦を強いられたもののフィンランド湾の海戦で勝利し、名声を手に入れることに成功します。しかし劣勢になったロシアが、イギリス、プロイセンを仲介役に引き込み休戦に持ち込んだため、完全な勝利とはなりませんでした。
このときスウェーデン側も戦病死者が1万人を越え、戦費が年間の国費を上回るところまで膨れ上がるなど、戦争継続が事実上難しく、休戦は双方にとっての落としどころだったようです。
グスタフIII世は、国力が低下していた当時のスウェーデンを盛り立てた名君でしたが、最後はストックホルムのスウェーデン王立歌劇場で行われた仮面舞踏会の最中に暗殺されるという悲劇に見舞われます。
生前より「私は祖国を救い、軍事を強化し、文芸を推奨し、また、内政にも尽くした。そして祖国は、戦争に勝利することによってかつての栄光を取り戻すだろう。しかし、その時には、私は国民から見捨てられ、裏切られる事になるだろう」と周囲に述べ、自身の最後を予感していたと伝わっています。
また、この事件を作曲家ヴェルディが「仮面舞踏会」としてオペラ化し、今でも語り継がれています。